ふくちゃんカフェ 本店

愛なる命の光 満ち溢れるbubbles
  • scissors
    10月 10th, 2009ふくちゃんシアワセのありか

    僕は常に何かを考えています。

    僕の頭は、常に思考している。

    その「何か」とは、これからの未来の事柄が多い。
    (#もしくは、過去のことも考えているかな)

    ?

    今後の予定だったり、

    今後の支払のことだったり、

    夢の実現方法を探る思考だったり、

    明日の朝の起きる時間を気にしたり。。。。

    ?

    何をしていても、先(未来)のことを考えています。
    ご飯を食べていても、歩いていても、そう。

    ?

    せっかくのおいしいご飯を食べていても、
    頭は他のこと(未来のこと)を考えている。

    たちが悪いのは、僕は人と話をしていても、
    心ここにあらずで、先のことを考えている。

    ?

    これでは、今を生きてないということに気がつきました。

    今を生きていないと、考えている未来に時間が進んでも
    相変わらず、そのまた未来のことを考えるという不幸な連続です。

    「今を生きる」とは、
    目の前の相手(対象物)に集中することです。

    ご飯を食べていたら、ご飯に対して集中する。
    歩いていたら、歩くことや、自然の変化に集中する。
    人と話をしていたら、その人との会話に集中する。

    これ↑を心がけるようになりました。

    そして、思いました。
    「今」を生きないで、「未来」のことを考えているのって、
    ある意味、生活の「慣れ」から来ているのだと思う。

    ある程度物事の対処に慣れてしまっているから、
    心が「今」に無くても、物事を進めることが出来ていた。

    頭の中は、未来のことを考え、
    目の前の「今」に対しては、身体の反射神経で対応していました。

    ?

    ある意味、僕は器用になってしまったということです。

    ?

    赤ちゃんは、この世に生まれ、目の前の出来事に慣れていません。
    なので、目の前の今に対して新鮮で、一生懸命です。

    そして、目の前のことに喜怒哀楽をすべて注ぎます。
    赤ちゃんみたいに、言わば「不器用」になれば、
    「今」を生きれるかもしれないと僕は思いました。

    具体的には、僕は右利きですが、
    ご飯を左手で食べるようにしました。

    左手で箸を持って食べることをやってみました。

    そうしたら、一生懸命ご飯をつかむことで精一杯。
    一回一回ご飯を口に運び、今に集中してご飯が食べられました。

    ?
    これは、一つの発見です。
    「不器用」こそ、今を生きる術なんですね。
    「器用」が良いことだと思い込んでましたが、
    「不器用」こそ、今を生きて、よりその時その時のシアワセを感じ、
    生きる方法なんです。

    「シアワセのありか」はここにありました。

    不器用こそ、シアワセなことなんです。

    ?

    ?ふくちゃん

    Tags: ,
始まりの詩 遠つ御親より流れくる 尊き血よ、蘇り給え いよいよ旅立ち、始まりの時 全ての神々が立ち上がらん 日の本の国の真の夜明けぞ 日の本の国の真の目覚めぞ 遠つ御親より織り込まれたる 血の流れによる国造りは 今この時の為にありしことと まっこと知るが良い 各々の血の流れに役割あり その役割を果たすが為に 汝らは生まれたのじゃ 役割毎に神があり 役割毎に汝らがおるのじゃぞ 復活の産声は小さき声であるが この産声はきっと人々の心に届くぞよ それは血に響き渡り 一人、一人とその輪を広げ 歓喜の波となり 地球を覆い尽くすのじゃ 喜べ喜べ汝らが待ち望んでいた 真の神の復活ぞ 真の神の顕現ぞ 血の意味を知り 血の力を呼び興せよ 遠つい縁の契りによりて 生まれ出たる我が子らよ 父の呼びかけによりて目覚めよ そしてその契りい生命を生きよ 全ては調和に内に始まり 全ては調和されるのじゃ ワッハハッ 全ては定めじゃ 全ては順調に進んでおるぞ 心配するでない さぁ始まりぞ 祭りじゃ、祭りじゃ 神祭りじゃ